断片的に語られる主のお言葉から 主の御心をおもんばかる事は、
信者たる我々の努めなのです。

我々信者は長きに渡り 山札というものは実体界に存在するものの集合体ではなく、
形而上の概念として不可知不可侵の存在であると信仰して参りました。

このたびこの信仰と相反すると思われるお言葉が主より発せられ、
我々の心に迷いが生じました。

そののち、主よりいくつかの断片的なお言葉を賜り、
山札の概念性を否定される物ではないと窺い知ることができました。

思慮深き主は正しき存在であり、誤謬など存在するわけはありません。
ただ、主はときおり不信心な者に試練を与えるのです。
我々信者は主を疑う事なく信仰に励みましょう。

紙が「山札に存在すると信じていれば」空打ちも可能なのです。


コメント

ソウラ
2013年1月18日8:29

今回の騒ぎ絡みで色々な方が書かれている記事の中で、なんだか一番参考になりました。

かめーる
2013年1月18日12:50

ポケカ神学論争の部屋へようこそ。

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